遅く目覚めたクルマ好き

人生ゲーム

私の世代だと「小ちゃな頃からクルマ好きで」というタイプも少なくないと思うが、自分はそうではなく、クルマに目覚めるのが明らかに遅く、二十代も半ばに差し掛かろうという年齢になってからのことであった。

幼少から少年期、道すがら「ワーゲン見たら何とやら」などと言い合っていた時代である。スーパーカーブームがあった。スーパーカー消しゴムをバネ強化したBOXYのボールペンで弾き合うという、定番の遊びも当然のようにやっていた。時にはミニカーを買ってもらったりもしたが、平気でぶつけ合っては傷だらけにして、やがて打ち捨てられていくという始末。放課後には探検と称して廃車置場に忍び込んだりもした。ウルトラ警備隊のポインター、西部警察のスーパーZ、マッドマックスのインターセプター、ナイトライダーのナイト2000、テレビや映画の中にも魅惑のクルマがあった。

それでも、なかなか実車への関心が湧かなかったのは、単に他のことに興味が向いていたからでもある。その頃、私はクルマよりも鉄道派だった。今なら、さしずめ鉄オタと呼ばれそうなところだ。その頃、既に末期を迎えつつあったが国鉄だったが、今は無きブルートレインから旧型客車まで、まだ現役で走っていた。その話は尽きるところがなくなってしまうので(笑)、ここでは触れない。

大学生の頃。I feel cokeIt’s a Sony、松本孝美がCM女王(トヨタ・カリーナのCMにも出ていた)、BMW3シリーズが六本木のカローラと呼ばれていた時代である。自動車免許取得可能年齢となると、当時は誰もが、特に男はクルマを持ちたがる時代だった。目的は明快。走りに勤しむためか彼女を作るためか、いや両方ともか。モテる男はクルマを持っていることが多かったかもしれないが、クルマを持っているからといってモテるわけではない、そんな論理学の命題を実証する者が多数あった。
豊富なラインナップがあったスポーツカー。そしてデートカーと称する2ドアクーペも人気を博していた。現代とは異なるクルマ選びのベクトルが、そこにはあった。

程なく私も、免許くらいは持たなくてはという一種の社会常識として運転免許を取得した。だが、すぐにクルマが欲しいとはならなかった。高校あたりから以降、私の関心の大部分は音楽に向いていたのである。といっても自ら音楽活動をするほうではなく、興味の矛先はレコードやCDの収集と、それを聴くためのオーディオ機器、そしてライブ鑑賞であった。バイト代はこれらに流れ、とてもクルマに向かう資金はなかったし、その気もなかった。西新宿のマニアックな中古レコード店巡りなど、この話も尽きるところがなくなってしまうので(笑)、ここでは触れない。

ある時、タダ同然のクルマが自分の元に転がり込んでくることになった。あまりパッとしない安物小型セダンの中古、その見るからに草臥れたクルマを引き取って帰る途中に、交通量の多い交差点でエンスト、そのまま不動となり右折車線を完全閉鎖、クラクションの集中砲火。初心者にはトラウマとなる洗礼であった。この出来事もあってか、その後はなるべくクルマは使わない主義が徹底され、クルマへの関心が強まることにはならなかった。

社会人になった。さすがに先に挙げた学生時代のクルマのままでは支障が出そうだからという理由で、思い切って新車を買った。といっても、まだクルマへの関心度は低かったから、その選択に趣味的な観点はなかった。

そのクルマに半年近く乗っていて、どうにも面白くない気分を増幅させていた。そのクルマは、何ら問題なく日常を支えてくれていたが、それ以上の何かはなかった。クルマとはこんなものなのか。それ以上の何かがクルマにはあるのではないか。ようやく、そんな思いに目覚めたのである。

2件のコメント

    1. 半生を反省しつつ(苦笑)、生きております。あの頃のことも、もはや昔話になりつつあります。

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