さらに、あの頃のこと

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前回「クルマ好きへの一歩」から寄り道的に続く

クルマにまつわる状況は、技術的にも、社会的にも、ビジネス的にも、常にその時代の影響を大きく反映したものにならざるを得ない。現在はそれらの歴史的にも大きな転換点にあるといえるだろうが、当時は当時で、今思うと特殊な状況だったかもしれない。ちょうどバブル景気から、その崩壊後の余韻が、まだ継続していたような時代にかけてのことである。

私の友人の一人は、某一部上場企業に就職して多忙な日々であったが、ある時、話を聞いてみると、クルマを買ったという。彼は趣味的な意味でのクルマ好きではなかったし、少なくとも通勤等の日常生活にクルマは不要というライフスタイルであった。それでもクルマを買った。

曰く、「社会人としてクルマくらいは持ってないとね」「ボーナス出たし、何か大きな買い物しなきゃと思って」「ほとんど乗らないんだけどね」

ボーナスを貯め込まずに消費しようという経済貢献の意識もさることながら、趣味性の有無、必要性の大小に関わらず、クルマくらい持ってないとカッコつかないぜ、という感覚が垣間見える時代だったともいえる。

ちなみに、この話を最近の学生にしたら、さっぱり理解できない感覚らしい。彼は、できれば一生クルマを持たないままでいたい、と考えていて、免許くらいは取っておこうと思ってはいるが、やっぱり取らなくてもいいんじゃないか、とすら考えているという。ちなみに彼女はいるし、そこにクルマ(免許)の有無はまったく関係ないという(イイ時代なのかもしれない:笑)

少し余談

余談になるが、当時の(主に男の)大きな買い物として、クルマの他にオーディオ(ホーム・オーディオ)もあった。現在では、スピーカーから音を出して音楽を聴くという行為すら少数派だとも伝えられるが、当時は単品コンポとも呼ばれたフルサイズのオーディオ機器を部屋に置くことが少なくなかった。熱心な音楽リスナーでなくとも、そこそこのオーディオを持っていたりしたものである。

都会に限らず郊外や地方にある家電量販店の小さな店舗にも、必ずオーディオコーナーが置かれており、所狭しと数多くの機器が展示され、さらにその中の一角には、ハイエンド(高級)オーディオに特化したスペースが作られていることもあった。

付け加えると、単品コンポではなくシステムコンポ(ミニコンポ)という多機能がワンセットになったオーディオならば、より広く一般に普及していて、各メーカーとも当時のトップアイドルを広告に起用するなど、主力商品としての地位を占めていた。

パイオニア private
パイオニア「private」は中森明菜
ケンウッド ROXY
ケンウッド「ROXY」は富田靖子

単品コンポの世界で象徴的だったのは、598戦争と形容される59,800円の価格帯で、25〜30cmウーハーを元に構成される、大型で重量級の3ウェイ・スピーカーを各メーカーが競い合うように発売していたことである。私自身、サンスイやソニーのアンプに、ケンウッドやパイオニアのCDプレーヤー、そしてダイヤトーンやヤマハのスピーカーといったラインナップで楽しんでいたが、その後、目が転じて海外のオーディオ製品にも手を出すことになり、まさにクルマへの興味と同様の軌跡を辿った結果に。

ソニー TA-F333ESX
私が所有していたソニーのプリメインアンプ TA-F333ESXII(このモデルの後継機)
両サイドのウッドパネルが高級感をプラスしていた。
そういえば当時のクルマにもウッドパネルは多用されていた。

その後、世間でオーディオ人気が下火になっていった流れは、昨今のクルマ離れと言われる状況よりも、はるかに急速で容赦ないものであった。オーディオの話もキリがないので、このあたりに留めておこう(笑)

注) 掲載した写真は、手元に残っていた雑誌広告からだが、これらは1985年のものであり、今回の投稿内容に比べて若干古いが、意図としては通じるかと思う。

時代の綾も

さて、私自身のケースでは、クルマが生活や仕事に必要なものであるという前提があり、その上で、より趣味的な方向、いわば実用品から嗜好品的な方向へと関心が広がっていったということは、前回書いた。旺盛な物欲と消費傾向(必ずしも額の多寡ではない)に支えられた社会人としての人格形成規範は高度経済成長期からバブル期を貫き(「いつかはクラウン」そして「シーマ現象」など)、平成前期もその残像はしばらく残ったように思う。それら残像と余韻がまだ十分に残り香を放っていた時代に、私はクルマ好きへの最終便にたまたま間に合ったようなものだ、と今になって思う。

もちろん、より新世代のクルマ好きもいるし、そこには彼らなりのクルマ好きへのストーリーがあるだろうから、上に書いたことは、私自身の経験からくる実感でしかない。ただ、もう少し遅く生まれていたらクルマには興味を持たないままだったかもしれない、という微妙な感覚が私にはある。まさに文中に登場した学生君のような感覚の持ち主が、私自身だったとしてもおかしくはなかったであろう。

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